
彼女の鞄にはモグワイのファーストがいつも忍ばせてある。
針を落とせばいつ何時でもグラスゴーの恐るべき子供たちが現れて、
ふと真夜中の京葉道路沿いを歩かされているような感覚にさせてくれるからだ。
暗室から出られないままのネガみたいなストレスに充ち満ちていて、
25の秋を迎えるまでに彼女が聴いてきたアルバムの中でもとりわけ重要な一枚。
そして、彼女の鞄には居酒屋で横に座った男の忘れ物も常に入っている。
ありったけのリキュールが置かれたガラスケースと、
隅っこに立て掛けられた過去付き合った男5人のデッサンと画板、
化粧っ気のないメイクボックスと洒落っ気のないクローゼットに、
近所の家具店で働く同級生から二束三文で購入したドイツ製のソファ、
前の彼が買い与えてくれたテンピュールの枕、上京の際に母から貰った卓袱台といった、
普通の一人暮らしをしている女性の部屋にありそうな物が彼女のアパートにはなく、
代わりにダンヒルの手拭いや見知らぬバーのライター、携番を書き間違えたコースター、
空になった名刺ケースなどが、日によって入れ替わり立ち替わり収納されるのだ。
昨日出席した立食パーティーは、あまりに散々な内容だった。
彼女が同郷の友人2人とレジから最も遠く離れた窓際のテーブルを陣取って、
どの卓でも当然のように繰り広げられる紋切り型の泣いたり笑ったりを眺めていると、
「ねえねえ、退屈そうじゃない」
誘ってきたのは、アンタチャブルの山崎を一層毛深くしたような頭髪と顎髭の男だった。
山崎はあたかも今まで幾度となく若い子を笑わせ、誑かしてきた殺し文句のように、
自分を「チャブルの山崎に似てるってよくいわれるんでーす」と空笑いで汗を拭った。
しかし汗は、拭いても拭いても毛穴という毛穴から次々と噴き出すばかりで、
当初グレーだったアニエスのニットも紺、黒、褐色という順番で落ち着いたのだった。
第1ステージクリアといった表情で山崎が自分の本名を紹介する間に、
別の卓で成り行きを伺っていた取り巻き数人も、会話の流れに乗り掛かってくる。
「ボクら別の席、ホラあそこで飲んでたんだけど」
「知り合いだけで固まるのって何か勿体ないっていうかさ」
「やっぱ『縁』ていうの?いろいろ大事にしてきたいなって思うし」
金融業界を目指している1人の取り巻きはいびつなパステルカラーを身に纏っていて、
おそらく派手目も地味目も敬遠されてきた結果の服装選択なのだろう、
IPOだのIBだのといったキーワードを自信たっぷりに振りかざしながら、
何大学?何学部?専攻は?サークルとかやってたりする?ゼミは?
へー就活してんだーどこ志望?と、おおよそ1分では答えきれない質問を連発した。
馬鹿馬鹿しくなり笑い出すと、しめたとばかりに今度は山崎が動いて、
「さっき携帯いじってたよね、ひょっとしてもしかして彼氏?」
「いや違うな、つまんないから友達とメールしてたんだよね?」
「ゴメンゴメン突っ込んだこと聞き過ぎ、でもカワイイんだもーん」
目の前にはすっかり冷めた串焼き数本と、誰も手を付けていない雑炊の鍋がある。
誰彼と寝に来たわけじゃねえんだよ糞が。彼女の空腹は頂点に達した。
「ちょっとケータイ鳴ってるから」
ついでにお手洗い、と誤魔化して非常階段まで逃げるように外の空気を吸いに行く。
今年ももう、残すところたった2ヶ月になってしまった。
セーラムに火をつけながら「寒っ、終電逃したらやばいなこれ」と呟くと、
鞄から黒地に「富士銀行」と白抜きされた1枚の写真と、1本の硝子瓶を取り出した。
「しゃべりすぎて喉渇いたでしょ。ほらお水。一気しちゃって」
着席してすぐ、彼女はスピリタスのなみなみ注がれたコップを彼らに差し出した
みたいなことを
隣で小学3年生らしき女の子がランドセルから取り出した、弁当箱の中身を見て思った。
ウイダーインのグレープ味1本と、カントリーマアム2枚だった。
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