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2005/04/28 (Thu) 03:05

昨夜、神田のデジハリで「ウケるブログ会議」が開かれた。
コメントをくれたことのある中川早紀さんが講演したらしい。
もちろん行かなかったけどね!だってめんどくせーもん!
原宿のコンドマニアなんて一度しか入ったことないけど
日本人にとってのブログもバイブやローターとさして変わらない、
取っ掛かりのいい大人の玩具に過ぎなかったという気がする。
たまごっちやファービーとあんま変わらん感覚で
ブログの中身より外見をいじくるユーザーが多かったのは事実だ。
みんなに可愛がってもらいたい飼い主はpingを飛ばしまくったり、
トラックバックやコメントを打ちまくったりしてるけど、
他人のたまごっちが漏らしたうんこなんてどうでもいいし、
ファービーの言葉なんて日常生活において何の足しにもならない。
ところで、このサイトはアクセス解析を置いてないから
果たしてどれだけの読者がいるのか皆目見当もつかないけれど、
ロマネコンティの注がれたグラスで透明な音楽を奏でるように、
ファーストセックスでブラのホックを外すときのように
ブームが去ったとしても自分の読者だけは大切にしようと思う。

*このエントリは、BlogPetの「こうさぎ」が書きました。

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2005/04/27 (Wed) 17:01

一昨日、西で恐ろしい事故が起こったとき、
僕は武蔵丸の写真で三歳児でも躊躇いそうなことを書いていた。
三年前、東で痛ましい事件が起きたときも、
僕はヨーグルトのついたスプーンをくわえて原稿を打っていた。
「地続き」ということは、もはや何の意味も持たないんだと思う。
日を追うごとに自分がアホウになっているという実感は、
テストで赤点取って進級できなくなって授業料が払えなくなって
父の会社が右へ左へ傾いて収入は減って頑張って残業して
母はテレクラで知り合った若い男とホテルへ直行して
妹は家族が寝静まる頃合いを見計らって山手線の終電に乗って
ふと立ち寄った漫画喫茶から友達に恨み辛みのメールを送って
とてつもなくやるせなくなって、朝日が昇って
中央線のホームで始発を待っていたとしても沸きやしないだろう。
そんな、ポスト文芸賞の若い才能が挙って食らいつきそうな
ハナレグミの歌わない「家族の風景」なんてどこにでもあるのに、
饐えたレタスの匂いがすると思えば実は自分の汗だったり、
現代文と日本史の授業を同じ日に受けても
「落伍者」と「落武者」に大差ないことが理解できないくらい、
今回のことも自分のいる日本で起こったという感覚が持てない。

2005/04/25 (Mon) 13:18

musashimaru.jpg

許してちょんまげ!

2005/04/25 (Mon) 12:17

地元の土手は今、空前のターゲットバードゴルフブームで、
「ターゲットバードゴルフはバドミントンのシャトルのような、
羽根付きのゴルフボールを使って行われるゴルフのことである」
なんていう堅苦しい説明は抜きにして、
川縁を散歩してるとおっさんやおばんの放った球が
ばんばん頭上を飛ぶような死と隣り合わせの毎日を送っている。
もし大学1年のとき仲良かった友達に合気道を学んでなかったら
こうして今日ブログを更新することもできなかったかもしれない。
お上に直訴する心積もりで僕は当たり屋を試みた。

処分:インテンショナルファウルと脳震盪で一発退場。

2005/04/23 (Sat) 13:49

料理をはじめた。

もちろん自発的に。きっかけは忘れた。
別に最近フットボールアワーの岩尾に似てきて、
彼に勝るとも劣らないものを模索中とかそういうことではない。
ただなんとなく。そういうお年頃なのだ。

物心ついて間もないころ、実家で生活している立場上、
他の家族と一緒に食卓を囲む時間に帰ることがわかっている日は
黙ってても自分の晩御飯が用意されていて、
当たり前のように出された味噌汁やたくあんを口に放り込んでいた。
だがしばらくして帰宅そのものがおろそかになりはじめると、
日がたつにつれ、当たり前だったはずのものが次々と姿を消した。
赤茶色の盆が消え、浅葱色の碗が消え、群青色の箸が消えた。
紅茶のありかはわかったのに、やかんに火がかからなかった。
途方に暮れ、日も暮れ、紆余曲折があり、時が流れた。
気付けば「ほら朝食も作れたもんね」と胸を張れるようになっていた。
胸張っていうことじゃないけど。昼食も夕食も作れるようになった。

おとついはハンバーグを焼いた。当然ベースからつくった。
牛乳たっぷりの、ふわふわのホットケーキミックスみたいな生地。
「だけどあまりおいしくない」
美容院でいつも散髪してくれてるお姉さんにそんな話をしたら、
「いいなあ料理か。あたしずぼらだからしないんですよ。
つくってもカレーぐらいだし。ハンバーグなんてもう全然。
もし今度来るときまでにうまくなってたら教えてね」といわれた。
マッハでいろいろ妄想した。

料理をはじめると、ちょっとだけだけどいいことがある。
生きる希望も湧く。もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対。

味の素の味を知り、
胡椒が本来肉の臭みを消すためのものだと知り、
米の研ぎ汁を捨てるのにちょうどいい塩梅の回数を知り、
炒め物を作るときフライパンに注ぐサラダ油の分量を知り、
テレビに出てる素人の女の子の肩書きが「家事手伝い」だったとき
ハングリーな若手芸人から「得意料理は何ですか?」と聞かれて
バツ悪そうに「…野菜炒め」という理由がわかりはじめて思ったのは、
「野菜炒めしか作れんでもうまけりゃ上等やろうが!」ということだ。
先日、暇つぶしに「こんな料理で男はまいる。」という本を読んだ。



『こんな料理で男はまいる。』(大竹まこと)

著者は大竹まこと。ザ・ワン・オブ・シティボーイズ。
かつて彼はバラエティできたろう、斉木しげると並んで
「大根の高速切り実演販売」なんていうコントを披露していたが、
現在もソロ活動の傍ら、毎年ゴールデンウィークになると
年中行事のように三人プラスαでシュールなライブを行っている。
一度だけ、友達に誘われてステージ上の彼を見たことがあった。
そのときは、たしかにコントそのものも面白かったのだが、
それ以上に他のメンバーが繰り出す予測不能のアドリブに
「おまえらバカだろ!」と照れくさそうに怒る姿にとても感動した。
なんてセンシティブなんだろう。
年上好きが愛しさを覚えるような繊細さ。
売れない時期、ヒモばかりやっていたからこそ培えた甘え方。
「naive」という言葉はボディソープより彼にお似合いだと思った。

そして大竹まことには、もうひとつの顔がある。料理上手だ。
「芸能界一キャベツの千切りが早い男」としても知られる彼は、
グッチやタモリや海千山千の主婦タレントと比べてどうかは知らんが、
とにかくキャベツを千切りにするのがべらぼうに早いのだそうだ。
しかも千切りに限らず、料理全般の作業において手際が良いらしい。
そんな彼が、自著の中でたしかこんな感じのことをいっていた。

「男の舌は実に保守的だ。気取ったものが好きではない。
というのも、男たちは社会に出ると定食屋でしか外食しない。
なぜか。それは、彼らが安心できる味を求めているからである。
仕事を終えて自宅に帰り、疲れきった体が欲しているのは、
『ほっ』と一息つけるような、昔懐かしい味だからなのだ。
だから女性は、意中の男を自分のものにしたいと思ったら、
得意料理をカレーやビーフシチューなどといってはいけない。
レシピ通りに調味料を加えたところで、洋食屋には勝てないからだ。
仮にレパートリーが乏しいのであれば、『野菜炒め』といってもいい。
野菜炒めは簡単に作れて、男の心も簡単につかみやすいから」

大竹まこと、男も参らす55歳。

2005/04/20 (Wed) 16:25

絲山秋子の「逃亡くそたわけ」を読み終えた。
もし自分が児玉清の出てる書評番組にゲストで呼ばれたら
もはや「週刊ブックレビュー」どころか「重患ブックレビュー」、
いやいや「獣姦ファックデビュー」かなあ、などと嘆息しながら
授業中に読破している時点でまさに「くそたわけ」なわけだけど、
猛烈な疲労と倦怠、あと何を隠そう睡魔に襲われ、
目覚めると隣の女の子にレジュメではたかれているところだった。
ちなみに小説そのものは、閉塞感200%の股旅物で、
読めば「広島のメルセデス」ことマツダのルーチェに乗り込んで
ピーズ聴きながら現実逃避の旅に出たくなる素敵なお話です。

一方、レジュメは石弘之のルポルタージュからの抜粋。
ブラジルはインディオの自殺者が増えまくってるという記事で、
ゴミ箱を漁る少女や酒で狂った大人たちの写真が掲載されていた。
ざっと10ページ程度の、岩波ジュニア新書みたいな内容だったが、
医者に頼る一歩手前でどうにか踏ん張れている自分からすれば
劇薬を飲み干した後みたいなしょっぱくて苦い読後感だった。
でもやっぱり装丁が鈴木成一だった感動の方が全然強くて、
自分が一端の物書きになった暁の依頼料を闇雲に算出していると
「地球市民的立場から対策を述べて」と教授はいってA4紙を配り、
「正直インディオに構ってられないほど自分の生活で手一杯です。
それに生まれて二十余年で犯した数多の罪科を総ざらいしたら
いつ市民権を剥奪されても不思議じゃない」と僕は書いて出した。

「今日は泊めない」「いや泊まりたい」
押し問答を続けるカップルの頭にそっと消しカスをのせながら
あらためて男も女も「狩りと釣り」が好きな生き物やと思った。
僕の場合、弓矢や釣り竿を物色したためしもないのに
「狩った釣った」と記憶が改ざんされている。思い込みが激しい。
失恋で凹んでるときなんかは特に症状がひどくて、
どんな顔や声でも女子に生易しい言葉を囁かれでもした日には
「このまま"K"あわよくば"P"つーか"I"」と、十中八九考える。
ありえないからその図々しさを就活で遺憾なく発揮してほしい。
まあ当然のごとく無理な話だから息抜きに本でも読むんだけど、
頬杖がつけたら昼夜もところもなりふりさえも構わない感じで
なにがしかのページを捲っていた数時間前の自分を思い出した。
ぞっとした。
こういうのをズバリ「活字中毒」と呼ぶんだ。しかも重度の。
述べ500万のバイト代を水商売とビデオの延滞料に注ぎ込んで
「一生遊んでは暮らせない」と思い知ったのに。成長しないなあ。
書を捨てよ、町へ出よう。
でも持ってる本はちり紙交換にも出せないジャンクばかりだし、
都会に繰り出す路銀もビタ一文持ち合わせちゃいなかった。
だから今日も昼は道路にアスファルトをしこたま塗りたくって
夜はケネディが「Thank you, and good night.」で締め括る
キューバの海上封鎖宣言をかれこれ300回もループさせてるのだ。
見れば隣のやつも退屈なんだろう、神妙そうな顔を浮かべながら
実は利き手がズボンの内側で意味深な軌道を描いていて、
ノートには何も描かれた形跡がなく、動かす筆が違うアイロニー。

2005/04/16 (Sat) 12:57

授業中、教室の最前列で一人の男子学生が
「今日講義一発目だけどたぶんもういかねー」だの
「ったくこの糞テキスト古本屋で売ってねーの」だのとこぼしていた。
青年の気持ちはわからんでもなかったが、
教授に垂れる愚痴じゃないことに気付かない時点でヘタレ確定で、
しかも噛み終えたガムを僕の肩先になすりつけて
「じゃあ、そろそろ板書を写してあげましょうか」というと、
写すどころかものの5分で寝息を立て始めやがった。

僕も寝不足でいい感じに虫の居所が悪かったから、
まずそいつが枕代わりにしていたGREGORYのリュックを
洋食屋のテーブルクロスみたく一気に引き抜いて下顎を強打させ、
周囲からかき集めたミニ六法の塊を眉間に投げつけた。
次に「何が何やら」とでもいいたげな顔を長机に何度もたたきつけ、
烏賊墨で溶いた食紅のごとき血の海と化した卓上で
鞄からだらしなくはみだしているiPodの白いコード線を
ガムで絶縁させてから手元のシャーペンで三つ又に切り裂き、
今度はそのシャーペンを頚動脈をわずかに外れた位置で突き刺し、
替え芯を首筋にねじりこませると同時に二本の足をつかみ、
仕上げに教壇目がけてジャイアントスイングしてやったのだった。

「手塩にかけて育てたもやしが冬の風雪や夏の猛暑を知らなくても
農家と美食家以外の口に入れば『たかがもやし』で済むだろうけど、
受動と能動が逆転しても顔色一つ変えないことが理想の僕にとって
『じゃあ、そろそろ板書を写してあげましょうか』などと抜かす貴様は
人のセックスを笑えても自分のオナニーをオカズにされたくないとか
人殺しといて『僕は死にましぇん!』みたいな泣き落としにかかるとか
草むらで燻ってる犬の糞に混じった消化不良気味のもやしと一緒だ」

そうやって彼を想像の中で嬲り罵り嘲り倒した僕は
五月病患者への第一歩を軽やかに踏み出したのでした。

2005/04/14 (Thu) 19:30

ある日の午前中、目の前を一組の老夫婦が歩いていた。
彼らの足運びは、かの旧東ドイツが生んだ競歩のスペシャリスト、
ハートヴィッヒ・ガウダーを彷彿とさせるリズミカルで力強いものだった。
人を追い越すのは屁とも思わないくせに、
人に置いてきぼりを食らうのがブスの握りっ屁より嫌いな僕は、
彼らと自分との距離が500mから開きつつあることに気付いて走った。

いや違う。「走るように歩いた」のだ。
親友が処刑場で待っているわけでもないから走りこそしなかったが、
あのとき目の前にいた老夫婦は間違いなくセリヌンティウスだったし、
邪智暴虐の王も己の心にあった。だから走るように歩いたのである。
そして、炎天下でひどく喉が渇いた僕は頭の中に「水」を思い浮かべた。
水、ウォーター、w-a-t-e-r。
大竹しのぶに柄杓で殴られる菅野美穂の絵がよぎった。
彼女たちに激しいリビドーを覚えながら、
脳内には無尽蔵のβエンドルフィンが分泌され、未曾有の恍惚が訪れた。

でもふと気がつけば、
そこは海抜ゼロメートル地帯にあるニューセントラルリバー沿いの土手で、
冷々の氷水と数々の女性と熱々の湯船が待っていたはずなのに、
実際は足を上げながら排便している犬に吠えられていただけだった。
間が持たないので照れ隠しに犬に軽く舌を出した。軽く勃起もしていた。
どうしてくれよう、と思ったがどうしようもなかった。

結局何が言いたいのかというと、
ランナーズハイやクライマーズハイを経験したことはないが、
ウォーカーズハイならあって、それはとてつもない陶酔感だということだ。
かつて早稲田-靖国神社間を往復で全力闊歩して帰路についたとき、
飲んだばかりのゲータレードを買ったばかりの状態で吐いたことがある。
口の両端から半透明の液体を垂れ流しながら、
僕はあはんあはんと笑ってオフスプリングを絶唱していたというのだが、
数日後友達からいやいや聞かされた話でまったく記憶がない。
馬を速く走らせるために鼻先に人参をぶら下げるとはよく聞くけれど、
たぶん僕以外の人間も自分の鼻先に何かをぶら下げたふりをしていれば、
そんな笑みをたたえながら半永久的に走り続けられるかもしれない。
いや走れないかもしれない。でも走らなければならない。
人生はマラソンだ。それもゴールのないスパルタスロンだ。かしこ。

2005/04/13 (Wed) 15:05

日経が読めません。

日経が読めないよりは
日経を読んでも先が読めない方がまだマシな気がするので、
日経が読めるようになるというガイド本を立ち読みしてみたんだけど、
日経を読む前にガイド本が読めなくて目の前が真っ暗になりました。

とりあえず自分の中のスーパーカーブームは三日で終わり、
今はジュラシック5ばかり聴いています。恐竜ブームですね。

2005/04/11 (Mon) 13:22

ヒキタクニオの「ベリィ・タルト」を読んでいたら、
去年の暮れに新宿で見た塚本晋也の映画「ヴィタール」を思い出した。

「ヴィタール」は人体解剖がテーマのちょっと変わった純愛物だった。
ヒロインの医大生役を演じてたモデルの女の子がかわいくて、
初の解剖実習で死体をいじってる途中にゲロってる場面を見たとき
「モデルも生身やなあ」という、ちょっと変わった感動を覚えた気がする。

「ベリィ・タルト」によれば、
なんでも人間の体内に蓄積される脂肪というのは
見た目も中身もスクランブルエッグにそっくりなんだそうで、
解剖実習にあたった学生たちがどんなに平静を装ったところで、
脳裏からは皮下脂肪やら内臓脂肪のドロドロしたイメージが離れないから、
実習から数日間は卵料理が受け付けられなくなるらしい。
そう考えると仮にもし僕が今の体脂肪率のまま不慮の死を遂げたとしたら、
司法解剖する医者の心中は察するにあまりあるなあと思い、
先週から一日平均10km、近所の土手を歩くことにした。

というわけで、ブログの更新はおろかバイトする時間もなくなって、
財布の紐は堅くなる一方なのにGパンのベルトはきついままなのです。

2005/04/07 (Thu) 11:11

図書館を訪れる母子連れの、
とりわけ女の子供の方が「ままうんち!」と声高に叫ぶと、
受付や自分を含めた周囲がやけにざわめいてしまうのは、
別にうんちがもれた後始末のこととかを考えてるせいじゃなくて、
おしめからまだ卒業できてない分際で、
「たった五文字で親の関心は自分に向く」という経験則から
何の衒いも恥じらいもなく身勝手な仮想現実を創り出せるという、
彼女たちのしたたかさに舌を巻いているからだと思う。

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